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冬という本来の季節をほとんど感じないまま、季節はすっかり春となってしまいました。
桜の開花宣言も昨日の久々の雪の降る中でした。
あんなに寒くても咲いちゃうのね。
前置きが長くなりましたが、ご無沙汰ぶりの更新です。

その間、色々なことかありました。
昨年秋の福山への旅行は、気温も丁度よく、お天気に恵まれて素敵な思い出となりました。
どちらかと言えば、地味な土地柄なんでしょうが、年齢を重ねた私達にはとてもマッチした、時間をゆっくりと過ごせた旅でした。
泊まったお宿も、さすがプレゼントとして頂いただけあってお部屋も食事もそこで働く人達も、満足を与えてもらいました。
縁があれば是非、もう一度訪れたい。
再度、娘たちに感謝です。

サ高住へと住まいを移した母ですが、高齢ということもあり、あちらこちらに病気が見つかったりしていますが、基本89歳の今も杖を使わなくても歩くことも出来ます。
その建物の中に、居宅介護支援事業所が入っており、そこでお世話になっていますが、とても良いケアマネージャーに恵まれて生活しています。
この方は、亡き父の担当もしてくれていました。
引き続き母の担当になってくれて、母は幸運だと思います。
今は、新コロナウィルスが蔓延しているので、訪問を控えるようにお達しが来ています。
仕方ありません。

仕方ないのはないですが、実は今、私は腰椎椎間板ヘルニアになってしまい、
現実それどころではないのです(泣)
前にも腰が痛くなり、整形外科で牽引をしてその時はどうにか痛みも取れたのですが、
今回は同じ様に治療し痛み止めの薬も服用しましたが、痛みは更に増して
専門の科がある病院でMRIを撮ったら、そのような病名でした。
強めの痛み止めの薬を頂き、更に1週間経った今、泣きそうな程の痛みは
ほぼほぼ無くなりましたが、大腿部の皮膚が敏感になり膝から足の指にかけての痺れは取れません。
どうなっちゃうのかなぁ。
いつになったら治るかなぁ。
トホホな毎日です。


# by nori-0726 | 2020-03-15 12:28

御礼と今

ご無沙汰しております。
前回の記事につきましては、励ましのメール等をいただきまして、心よりお礼申し上げます。
ありがとうございました。

父の残した公正証書のおかげで私たちの負担もほとんど無くなり、お任せしてる状態です。
残された母もその後、サ高住へとすまいを移し一人暮らしの寂しさから抜け出た今は
今まで以上に元気に過ごしているようです。
ほんとに100まで生きるんじゃないの・・・。

話は変わり、
今回、前回と台風の被害に遭われた皆様には心よりお見舞い申し上げます。
実は10月14,15日と伊豆下田へ旅行の予定でいました。
昨年暮れの結婚記念日に娘たちからの一泊旅行のギフトをプレゼントしてもらっていました。
期限は1年。12月の半ばで期限が切れます。
どうせ行くならば、季節の良い気に入った場所で・・・・と
とても素敵なお宿が取れたので、楽しみにしていたのですが、今回の台風は静岡伊豆方面をも大打撃を
残して去っていったのです。
お宿からは前もって何度か連絡をいただき、行けそうかなと用意していた前日の夜に
「電車、宿泊については大丈夫なのですが、伊豆一帯が停電となっております。
折角おいでいただいても停電では・・・・」と丁重なお言葉と一緒に今回はキャンセルとなりました。
復旧も未だ解決ならずに追い打ちをかけるように台風の被害を受けた地域には
今日も更にこれでもか!というように強い雨が降っています。
なんの恨みがあるというのでしょ。
ほんとにひどい、憎らしいほどです。
自然災害は本当に怖いです。
被災された皆様には、ほんとにお体を大事に一日も早い復旧を願っております。

そんな中・・・書いてもいいのかな。。。
11月にリベンジで今度は距離を伸ばして福山市まで一泊旅行へ。
広島は高校生の頃の修学旅行へ行ったきりです。
もちろん、福山も初です。
送られてきたお宿のパンフレットを見ながら楽しみにしています。
そして、旅のプレセントをありがとう。と、娘たちへ・・・。



# by nori-0726 | 2019-10-19 15:05 | 日常・家族・キモチ

父の死

今年のゴールデンウィークに夫が13年半振りに単身赴任の福岡から戻ってきました。
さすがに、私も福岡へ行ったり、彼も月一の間隔の帰宅もありましたが、それでも13年という時間の長さ。
一緒に生活していても、お互いに各々の生活パターンが出来上がっているために、中々…。
単身赴任期間が長いほど、離婚率は高いそうです。
と、一般的な話ですが、努力いたします。

さて、今年の3月よりサ高住という、高齢者住宅へ移った父でしたが、発病したバーキンソン病の進行と、誤嚥性肺炎のため1ヶ月ほど入院しておりました。
早朝に、連絡が入り6月8日、天に召されました。
腰の圧迫骨折もあって、住居での別居からの転落が入院のきっかけとなったわけですが。
5月の月末に肺炎としてはこれ以上は治療のしようがなく、病院長からは自宅と病院とどちらに居るのが良いかと訪ねたところ、本人が本心は自宅へ戻りたいが、それは叶わないためにサ高住の住居へ戻りたい。との希望でした。
延命治療はしないとの意志もあったのと、そのサ高住では、最後の看とりまでしてくれるところであったため、熱が安定しない日が続いたものの、解熱剤で下がったというのて退院することになりました。
その日は、帰って来た夫と会いに行く予定を立てていた日だったのです。
行ってみると部屋には父のためにケアマネージャーや看護師さんを始め、何人もの人々が話し合いをしていました。もちろん、父に快適に過ごしてもらうための打ち合わせ会議です。
確かにそういったサービスは、契約があるからです。
サ高住では、自分の状態に合わせての介護の契約ができます。
ただし、それは、それに対する支払いをすると云うことは現実です。
それでも、それ以上にしてもらったのではないか。と、我が儘な父でしたがきっと、満足したことだと思います。
自分の稼いで貯めたお金で出費するのですから、それは、それで良いと思います。
しかしながら、肺炎による熱は安定せず、私達が見舞った日はきっと無理して元気そうにしていたのでしょう。
亡くなる前日には母の面会により、ずいぶん出無かった声も出て、元気そうな顔を見せたそうですが、それはきっと、母のために一生懸命振り絞ったのかな。
最後の一瞬前には、正気になったりするともいいますが、その時がそうだったのか、母との時間を過ごせて安心したのか…
その夜中に酸素濃度が下がり、朝、静かに息を引き取ったようです。
最期の最期、身内が側に居ず、バタバタと動く看護師さんたちの間で息が絶えたことは、父は悲しくなかったのかと寂しくなかったのかと、思い図ることができません。
色々あったけど、静かに眠る顔を見たら全て許せてしまうものなのだと、改めて思いました。
今は、葬儀(本人の希望により密葬)を控え、バタバタしていますが、きっと、時間を経る毎に、ああしたら、こうしたら…という後悔の念も出てくるのではないかと思えるのです。

ただ、痛いことも多かったであろうけれど、苦しむことが長引かずに召されたと、安らかな顔を見たときに信じたいと思っています。

きっと、この記事も書き直さなくてはならない部分がたくさんあると思うけど、このまま残したいと思います。


# by nori-0726 | 2019-06-08 22:43 | 日常・家族・キモチ

現在は

だいぶ時間が流れました。
今年、もしかしたら夫の長かった単身赴任が任務終了になるかもしれません。
2005年梨が美味しい頃に突如出た辞令にビックリ、あたふたとしたのを覚えています。
バタバタと身の回りの物を詰め込み、初秋に大きなスーツケース(でか嬢がオーストラリアへ留学したときのもの)
ひとつで、博多へと向かったのです。
私もお陰で初めて飛行機なるもの、新幹線なるものに一人で乗れてましてや、一人旅と行動範囲も広げることもできました。
しかし、翌年春には私の癌が…。
二人の娘にも支えられて、14年目の今年、お帰りなさい。と、迎えることができましす。
別々の生活が当たり前と過ごしてきたこの年月。
娘達もそれぞれ、おかげ様で素敵な旦那様廻り合いと一緒になり、それぞれの生活をしています。
どうにか、下の娘が一人立ちして落ち着くまでは死ねない。
そう願っていた私ですが、それも達成いたしました。
あとは、ハワイに死ぬまで行ってみたい。の願いも達成してしまいました。
どーしよ。

ゆったり過ごせるはずもなく、厄介な介護で毎日精神的に疲れております。
ただ、私一人の状況からやっと、私の兄も参加してくれているのが、救いです。
今の世の中、こういう状態の私達の年齢の人達の多さ。
職場でも似たような状況下にいて悩む人達が何人もいます。
ほんとに難しい…。

# by nori-0726 | 2019-02-06 23:06

飛行機に乗って

明日から少しの時間、福岡へ行ってきます。
毎日の生活から離れ、違う場所で違う風景の中、
今の状態から一歩引いて自分を見れるかも知れないし。
何も答えは出ないかもしれない。
それでも何か違う気がする。
ご心配をありがとう。

# by nori-0726 | 2018-11-20 13:05