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その後の母

今までの記事の中でもちょこちょこ書いてはいますが…
次回の4月の診察で丸3ヶ月となります。
おぼつかなかった言葉も話す内容も動きも歩き方も殆どが以前のように戻りました。
母がとても気にして、日に何度も手鏡で覗きこんでいた右目の瞼もすっかり開き、 物か二重に見えていたのが、左右の焦点が交わり
普通に見えるようになったのも
眼科の診察ではっきりわかりました。
そして、生きることに一番大事なホルモン、コルチゾールなんと、自分の体の中から出始めているそうです。
今は、月に一回の脳外科の診察と3ヶ月毎になった眼科の診察。
ホルモンの投薬も量が減りつつあります。

一体なんだったんだろう…と思わせる昨年末からのあの騒ぎ…。
母の体のは見た目どこもメスを入れたようには見えない。
本人も手術したことも覚えてないし、正直なーんにも覚えてない。
頭が痛くて硬直して救急車に運ばれた事は、うっすらと運ばれているのかざわざわしていたことは、記憶にあるらしい。
その後は、術前も騒ぎを起こしてからの個室のことも回復室にいたときのことも殆んどの記憶がない。
病室に 戻って、数日後からは何となく覚えている。
しかし、その時の会話は、成り立っていなかった。
ある意味、脳に異物ができ神経等を圧迫したり、何かしらのイヘンカが起きたときの
その時の人間は、まったく知らない別人化とさせてしまうのだろか…。
考えることも話すこともすることも全てがもう一人の人化するのか。
まるでジキルとハイドに例えてしまいそうだ。

幸いなことに、手術をした後は本人は何もかも覚えていない、
幸せなことだと思う。私たちの心の中の奥底にしまい鍵を閉めてしまえばそれで済むのだから。

母には術前の説明も同意もなく、手術をしたので自分がどのをどうやって手術したのか、
それに対する後遺症等も知らないしびょうめいすら知らなかったのだ。
最近、改めてどういう病気であったのか、
手術まての経緯(一般的なこと) と、今の状態を説明した。

個々まで回復するとは、高齢な年齢であるので誰も考えなかった気がする。
最悪な覚悟を父として、今、ほっとしている。

ところが、愛猫が先日天に召された。
人間に例えると120歳位のご老体であったけど、母の回復にはその猫の存在は大きかった。
今回のことで、ショックを受けて痴呆が始まってしまったらどうしようかと、
本心気掛かりだった。
父も大変ショックを受けている。
けれども、生きているならばいつかは天にへと行くことにはなる。
その前に、食事をし、トイレに行き、粗相の無いようにし、母の腕のなかで静かな最後を迎えたと言う。
自分の寿命をしっかり生き抜いたのだ。
しっかりと、誉めてあげよう。
そして、ありがとう。
母は、その日は寝込んでしまったらしいが電話口では気丈にもしっかりしていた。
寂しいだろうが、看とることも出来たのだから、気持ちは違うであろう。
亡骸は貰ってきた先のお寺さんに戻ることになった。
元々、病気出なくなった先猫がそこに眠っているのだ。ペットロスになり今度の猫をそこのお寺にいたのを貰ってきたのだ。

母は、お友だちと食事会があるとかで、
少し、気持ちも外に向きつつある。
父も看病のため、休んでいた俳句をまた、始め出した。
それぞれに趣味は違っても、高齢なお互いをいたわりあって欲しい。
私もできる限り、顔を出して安心させたい。
穏やかな日が続きますように…




by nori-0726 | 2016-03-28 10:32 | 日常・家族・キモチ